宮澤賢治の膨大な執筆量に学ぶ

先日から、執筆力を高めるためには量をこなすことが大事だというお話をご紹介しています。

齋藤孝さんの『天才の読み方』(大和書房)には、その事例としてもう1つ、宮沢賢治のお話も出てきます。

宮沢賢治は修行の世界に憧れ、24歳の時に日蓮宗の実践団体である「国柱会」を尋ねたそうです。

その頃の生活は、午前中は生活費を稼ぐために印刷所で筆耕の仕事をし、午後から夜にかけては「国柱会」での奉仕活動。夜8時過ぎてから下宿に帰り、粗末な夜食をすませてから創作活動に入るという、とても多忙な生活を続けていたそうです。

しかもその頃の創作活動というのが、

1か月に約3000枚の原稿を平均して書いていった。次から次へと文章が脳裏に浮かび上がり、それは彼のペン先から奔流(ほと)ばしった(竹澤克夫著『宮澤賢治物語』)

のだそうです。

1か月に約3000枚ということは、

1日に約100枚。

これって凄まじい分量ですよね!

しかも忙しい毎日を送りながら、夜の限られた時間の中だけでそれをこなしていたというのです。

宮澤賢治がここまでの分量をこなせたのは、もちろん天才だからでしょうし、創作に対する常人離れした情熱に突き動かされてのものでもあるでしょう。

しかし、齋藤さんはこんなことを指摘されています。

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自分だけのためにやるより、もっと大きなもののためにやるほうが、エネルギーは湧いてくるものです

宮澤賢治のそうした高邁な精神は、有名な『雨ニモマケズ』からも垣間見えますね。

人は自分以外のもののために力を注ぐと、自分のエネルギーが奪われるかのように思いがちですが、そういう生き方は、その人のスケールを小さくしてしまう。もっと大きなもののためにやることによって、活力というのは循環し続けると齋藤さんは説いています。

この考えは、このリチブロでも度々ご紹介している初期仏教のスマナサーラ長老の、「読む人の幸せを願って書く」という教えにも通じていると思います。

ブッダの執筆法──読む人の幸せを願いながら書く

私自身、過去記事でも記したように、自分の執筆力を誇示する気持で書いていた若い頃は、大したものが書けていませんでしたが、我を捨て、読む人の幸せを願って書くようになってから、執筆のステージが上がったように思います。

文章の神様を味方につける方法

私のような凡人に宮澤賢治のような高邁な志などありませんが、それでもどうせ書くなら、ささやかでもよいから読む人に何某かのものをを与えたい。そんな思いで綴っています。

その姿勢が結局は、自分の執筆力を高めることにも繋がっていくように思います。

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