スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その8

今回もテーラワーダ仏教・スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』から、私の心に響いたフレーズをご紹介します。

慈悲の瞑想とは、誰でも簡単にできる瞑想法です。

スマナサーラ長老が仏典にもとづいてつくられたフレーズを繰り返し念ずることで、怒りや高慢、嫉妬、憎しみなどのネガティブな感情で汚れた心が、スッキリ、キレイに晴れて、穏やかになります

私も実践して、人生が大きく好転しました。オススメです。

この『慈悲の瞑想』という本で長老が新たに公開された、「慈悲の瞑想のフルバージョン」は、これまでに紹介されていた慈悲の瞑想よりもかなり長いのですが、自分の心で感じやすいセットを選んで唱えてみるのもよいそうです。

実践を続けるうちに、自分が一番気に入るフレーズが見つかり、それが自分専用の慈悲の瞑想になるのだそうです。

というわけでリチブロでは、私の心に響いたフレーズを7回にわたってご紹介してきました。

●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その2
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その3
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その4
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その5
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その6
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その7

そして今回ご紹介するフレーズはこちら。

***

スポンサーリンク

***

「全ての生命は、自分の業を相続します。
自分の業に管理されて生きています」

日本ではよく「業が悪い」などと言って、“業”という言葉には、なんとなく暗い、おどろおどろしいイメージがありますよね。

しかし、仏教で説かれている業(=カルマ)は、単に「行為」「行い」という意味であって、必ずしも「悪い」意味ではないとスマナサーラ長老は書かれています。

そして、善い行いをした人は善い結果を、悪い行いをした人は悪い結果を得る。すべては自分の責任なのだそうです。

これは平たく言えば、例えば食事の際に腹八分を心がければ健康という結果を得て、暴飲暴食をしたら病気という結果を得る。腹八分という原因を選ぶのも、暴飲暴食という原因を選ぶのも、自分の責任・・・とまぁこんな理屈ではないかと思います。

現実はもっと複雑で、人は毎日いろんな善行為と悪行為を積み重ねているので分かりにくいのですが、善因善果、悪因悪果、自分のつくった業を相続して生きるのが人生の法則のようです。

人はよく「今日はツイてない」とか「自分は運が悪い」などと嘆いたりしますが、そういう不本意な現状も、もとをたどれば自分が過去に行った様々な悪い行為の集積というわけです。

時には、

自分は何も悪いことをしていないのに、なんでこんな目に遭わなければならないんだ!

と嘆きたくなる時もあるでしょう。
これに対して長老は、

人間は結果が出た時には、その原因をつくったことを、きれいさっぱり忘れています。

と書かれています。

と天を呪いたくなるような納得のいかない出来事でも、実は過去にその原因となる行為が必ずあって、そのことを自覚していなかったり、忘れてしまったりしているだけのようです。

自分はもう覚えていないけど、遠い昔に、頭にきて人を怒鳴りつけたり、軽い気持で弱い立場の人をからかったりしたことがあったかもしれません。

また、行動には現さなくても、心の中で怒りや恨み、高慢、嫉妬、蔑みなどなど、汚れた感情を起こしていたかもしれません。

そういうのが悪い原因としてその人の履歴に刻印され、ずっと後になって好ましくない結果となって確実に自分に返ってくる。

まさに自分の蒔いた種。空に放り投げた小石が必ず下に落ちてくるように、それは避けようありません。

悪いタネを蒔くことのないよう、日頃から自分の言動や、思考にはよくよく注意しなければなりませんね。

逆に言えば、善行為さえ積み重ねておけば、未来は何の心配もないということになります。

自分でたくさん悪いタネを撒いておきながら神頼みをするのは愚かなことですが、日頃からたくさん善行為を重ねておくことは、それ自体が最も確実な、最高のお守りとなって自分を守ってくれるわけです。

その意味では、生きとし生けるものの幸せを心の底から念じる慈悲の瞑想は、最高の善行為だと思うのです。

ツキや幸運を引き寄せようといった邪念を持って行うと、本来の慈悲の瞑想から逸脱してしまうように思いますが、無心に、ただひたすらに実践するだけで、結果的にツキや幸運に恵まれると思います。

これからも日々慈悲の瞑想を実践して、人生をもっともっとよいものにしていきたいと思います。

***

スポンサーリンク