スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その11

リチブロではここしばらく、テーラワーダ仏教・スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』から、私の心に響いたフレーズをご紹介してきました。

慈悲の瞑想とは、誰でも簡単にできる瞑想法です。

スマナサーラ長老が仏典にもとづいてつくられたフレーズを繰り返し念ずることで、怒りや高慢、嫉妬、憎しみなどのネガティブな感情で汚れた心が、スッキリ、キレイに晴れて、穏やかになります

私も実践して、人生が大きく好転しました。超オススメです!

この『慈悲の瞑想』という本で新たに公開された、

「慈悲の瞑想のフルバージョン」

は、仏道をすべて完成するようにという気持ちでつくったとのことで、長老の並々ならぬ思いがこめられています。

その分、これまでに紹介されていた慈悲の瞑想よりもかなり長いのですが、自分の心で感じやすいセットを選んで唱えてみるのもよいそうです。

実践を続けるうちに、自分が一番気に入るフレーズが見つかり、それが自分専用の慈悲の瞑想になるのだそうです。

というわけでリチブロでは、私の心に響いたフレーズを10回にわたってご紹介してきました。

●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その2
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その3
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その4
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その5
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その6
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その7
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その8
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その9
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その10

今回は最後のチャプター10「慈しみの拡大」のフレーズをご紹介します。

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「こころの汚れが徐々になくなりますように」

昨日の記事でも記しましたが、スマナサーラ長老は、

怒りで行ったことはすべて失敗する

と書かれています。

怒りばかりではありません。

欲、高慢、嫉妬、蔑み、恨み等々、汚れた感情を抱きながらしゃべったり、行ったりしたことは、すべて悪い結果を招くわけです。

私はこの真理を知った時、

自分はわりあい温厚で、悪い感情を抱くこともそんなにないから、この話はあまり関係ないやと、思っていました。

けれども、スマナサーラ長老の推奨されるもう1つの瞑想法・ヴィパッサナーでつぶさに観察してみると、いかに自分の心が汚い感情で汚染されているかが分かりました。

とにかく、ほんの些細なことで、ムッとしたり、イラッとしたり、汚れた感情があとからあとから湧いているのにゾッとしたんです。

何となく気持ちが沈んでいる、なんだか面白くない……。

以前の自分は、そんな精神状態が続いて、自分はネクラな人間だとか、鬱病なんじゃないかと思い悩んでいたこともありました。

しかし本当は無自覚のうちに、心の奥の奥で、まるでトゲが刺さったように、小さな怒りを抱えていたんだろうな、といまは思います。

その頃は、心に生じた葛藤を解消するよい方法を知らなかったんです。

タイムマシンで当時の自分に会いに行って、教えてあげたい気分ですよ。

慈悲の瞑想をやってみるといいよって。

とにかく人間の心というのは、そういうふうに、すぐにネガティブな方向に傾いてしまうものなのだそうです。

人生で成功や幸せをなかなか掴めなかったりするのも、汚れた感情が邪魔をしているからなんでしょうね。

せっかく努力をするなら、キレイな心でやったほうが格段に上手くいく。

だけど自分は未熟ですぐに高慢やワガママになるし、日々の生活の中ではイヤなこと、気にくわないことにしょっちゅう直面するから、心はすぐに汚れてしまう。

私の場合、そんなジレンマから自分を引き上げてくれたのが、慈悲の瞑想でした。

私は慈悲の瞑想の実践を始めてまだ日が浅いのですが、改めて振り返ってみると、過去に抱えていた悩みや問題が随分解消されて、ビックリするくらい人生が好転しました。

これからも慈悲の瞑想は実践していくつもりですから、今後の人生がどこまで愉快なものになっていくか、いまから楽しみでしかたありません。

ただ、このチャプターに掲げてある

「こころの汚れが徐々になくなりますように」

というフレーズは、ただ自分が幸せになるためだけに念じるのではなく、上・下・前・後・左・右、すべての方向のあらゆる生命に向けて念じていくものです。

この世の生命は、心の三毒である貪・瞋・痴(とん・じん・ち=欲・怒り・無知)を克服して解脱を果たさない限り、苦悩から逃れることはできません。

ですから、たとえ大統領でも天皇陛下でも、傍目にはどんなに幸せそうに見える人でも、かわいそうでたまらないのが実情なのだそうです。

器の小さな自分は、まだまだ自分の心を整えることで精いっぱいですが、日々の慈悲の瞑想を通じて「慈しみの拡大」を図り、少しでも多くの生命に、慈しみの心を向けられるような人間になりたいものです。

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