スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その9

今回もテーラワーダ仏教・スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』から、私の心に響いたフレーズをご紹介します。

慈悲の瞑想とは、誰でも簡単にできる瞑想法です。

スマナサーラ長老が仏典にもとづいてつくられたフレーズを繰り返し念ずることで、怒りや高慢、嫉妬、憎しみなどのネガティブな感情で汚れた心が、スッキリ、キレイに晴れて、穏やかになります

私も実践して、人生が大きく好転しました。オススメです。

この『慈悲の瞑想』という本で長老が新たに公開された、「慈悲の瞑想のフルバージョン」は、これまでに紹介されていた慈悲の瞑想よりもかなり長いのですが、自分の心で感じやすいセットを選んで唱えてみるのもよいそうです。

実践を続けるうちに、自分が一番気に入るフレーズが見つかり、それが自分専用の慈悲の瞑想になるのだそうです。

というわけでリチブロでは、私の心に響いたフレーズを8回にわたってご紹介してきました。

●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その2
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その3
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その4
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その5
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その6
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その7
●スマナサーラ長老の本『慈悲の瞑想』を読んでみた・その8

今回はチャプター8「エゴの錯覚」から印象に残ったフレーズをご紹介します。

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「私は他より優れている」と感じることは高慢です。
「私は他と同等だ」と思うことは同等慢です。
「私は他より卑しい存在である」と思うことは卑下慢です。

高慢というのは分かりますし、卑下慢というのも聞いたことはありました。しかし「同等慢」というのまであるとは。これは初耳でした。

「慢」というのは、自分を評価する心なのだそうです。

この慢がもとになって、他者と比べるところから、いろんな問題が生じてくるのでしょうね。

人間の悩みのほとんどは、他者と比べるところから生じているとも聞いたこともあります。

他人と比べて、自分の方が上だと感じたら威張ったり、相手を軽蔑したりする。自分の方が下だと思ったらひがみや嫉妬、劣等感に身を狂わせる。

同等だと思ったら、相手への敬意を失い、無遠慮になる?甘く見る? 同等慢というのはちょっとよく分かりません・・・。

いずれにしても、私はそんな醜い態度は取らないと思っていました。

けれども、長老が紹介されているもう1つの瞑想法・ヴィパッサナーで自分の心をつぶさに観察していくと、そうした汚い感情が頻繁に現れているのが分かったんです。

少し話はそれますが、これは過去記事で触れてきた「怒り」についても同様です。

自分は寛大で、心穏やかな人間だと思い込んでいましたが、よくよく観察すると、実は小さな怒りをたくさん抱えていました。ささいなことで、すぐにムッとしたりして、とにかくまぁひどい、ひどい。

人間の心というのは本来、そういう汚れた感情ですぐに染まってしまうものらしいのですが、自分の醜い本性を自覚して、ゾッとしたものです。

前回の記事で、善因善果、悪因悪果のお話を記しましたが、無自覚のうちにそんな悪いタネを蒔いていたから、これまであまりパッとしない“凡人”の人生を歩んできていたのかもしれませんね。

自分の本性をよくよく自覚した上で、そういう自分を少しでも変えていけるように、これからも慈悲の瞑想の実践を続けていきたいと思います。

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